聖徳太子の従者・調子麿の墓との伝承を持つ!


博士
・古墳はほとんど裾を削り取られ、水田化されているため、現状は径14mほどであるが、周辺で行われた発掘調査の結果、直径30m級の円墳と考えられている。
・出土した埴輪の年代から、5世紀中頃の造営とされている。
・円筒埴輪、器材埴輪などが出土。
・『大和名所図会』(江戸時代のいわゆる旅行ガイドのような書物)の絵図にあり、古くから著名な古墳であった。
聖徳太子の従者「調子麿」とは?
●聖徳太子の従者で、太子の愛馬・黒駒の仕丁であったといわれています。
●調子麿は、百済の生命王の甥で、来日して聖徳太子に仕え、84歳で亡くなったという伝承もあります。
●調子麿は、太子が亡くなった後も法隆寺に留まり、その子孫は代々、法隆寺を守護する役についていたともいわれています。



